OpenAIのサム・アルトマンが東京大学で「AIの進化ビジョン」について講演をしたという。
その中で述べていることを引用すると、次のようである。
「ある学生が「今後10年、30年、100年後の社会はどのように変化すると思いますか?」と問いかけると、アルトマンは「10年後にはAIが科学技術の進歩を加速させ、30年後には社会のあらゆる側面がAIと一体になって、ともに進化しているだろう」と即答した。100年後の未来については「現時点では想像もつかないが、人間の生活は今とはまったく異なるものになるだろう」とアルトマン氏は答える。」
AIの進歩が人類の生活に好影響を与えるのは確かだろう。しかし、それはAIがあくまでも人間のツールである段階にとどまるのではないだろうか?人が面倒くさいと思うことや、手間がかかることを他の人に代行を頼む状況とよく似ている。ここでいう他の人がAIに変わっただけのことである。面倒なことや手間がかかることを代行してもらうことで、自身はより生産性の高い仕事に専念できるようになる。AIの推論機能が高まってくれば、人が思いもしなかったような解決法が発見されるかもしれないし、それによって科学技術も加速進歩するだろう。
問題は100年後である。AIの能力が人を超えてしまうと、一般人が太刀打ちできないような天才に出会った時と同じように、恐らく知的に戦う気力を失ってしまうだろう。自分が考えたって勝てっこない、そういう劣等感が人のやる気を奪い、単にAIに生かされる動物にヒトがなってしまう可能性が多分にある。
人はその時代には生産活動から解放され、かつては収入の源泉であった知的活動も、戦っても勝てもしないAIを眼前にしてその対価さえ無価値に等しくなり、遊びふけるだけの存在になってしまっているのではないだろうか?
この時にぶつかるこの問題を克服するには、人も同様に進化してAIと同等以上の能力を獲得するしか方法がない。AIと脳が合体する時代の到来である。その時に、この生き物が人と呼べるのか?それすら確かではない。